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結婚式で歌ったやつ 2011年12月05日(月)

   


うちの近くの 2010年03月06日(土)

  122,131 byteパン屋のレシート  


さよならG 2009年09月13日(日)

  最近、数字を扱うことが多いんだけど、

「5」という数字は切ないね。

4より1つばかり大きいがために

自分の2倍もある10に見られる。







ボクだって

10なんか程遠い

なのに、、、



社会人だから?

にじゅう〜歳だから?

○年目だから?







なんらかの理由をつけて四捨五入

ボクはそこにとどまっていたくても

10として見られてしまうんだ。



だから、ボクは10の顔をして

急いで6と7と8と9を準備しないといけない。




それに追いつけなくなったら

文字通り捨てられるのかもよ。






みんな「5」のように大変なんだろか。

切ないんだろか。

強がってんだろか。














まぁいいさ。

偽善も偽悪も

使いこなせば何かが見えてくるでしょう。

さよならG
 


デトロイト・メガネ・シティ 2009年04月04日(土)

  78,672 byteいや、花粉症だからさ、たまたまメガネなだけなんだよ














とか、言っていた時期から、はや1年

結局、丸1年メガネである。







ボクはもうすっかりメガネだ。


ボクの知り合いが、ボクを知らない人に、ボクを説明する時には、


ホラ、アイツだよ。こんなメガネかけた、、、

と、眼の前に親指と人差し指でメガネの形を作りながら説明するに違いない。





当の本人だって、もし自画像を描くとしたら

メガネを最初に描くに相違ない。





「メガネは顔の一部」と謳ったCMが昔あったが

もう完全に「顔がメガネの一部」になっている。









「彼はメガネだよ」

「He is MEGANE」

そんな誤訳だって、ボクが先生なら×をつけるのをためらってしまう。








ボクはもう、メガネから逃れることはできない。


メガネが自分をアイデンティファイするものになってしまった。

メガネをかけずに仕事にいこうもんなら

アイツだれ?あんなヤツいたっけ?

となるに違いない。






かといって、勇気をふりしぼって、今メガネをはずそうものなら

花粉の脅威が待っている。

そして、花粉の季節が終わるころには、

コンタクトをつけることなど億劫がるに決まっている。




そうしてボクは一生メガネとして生きていくに違いない。


「His all life is MEGANE」

もうここまでくると、先生はハナマルあげちゃう。










ヒマだからあーだこーだ言ってみたけど、

このメガネ、わりとお気に入りなのでした。


ちゃんちゃん。
 


好きなこと 2009年03月07日(土)

  ボクは旅行が好きだ

非日常を味わうのも旅行の楽しみのひとつだが、

ボクは街を観て、街を感じるのが好き。


街は芸術作品

自己表現する機会があまりない人にとっては

「芸術」といってしまうと、何か重苦しく難しいことに感じられるかもしれない。

だが、芸術とは人間の何かしらの感情を表現したものであり、本来的には身近なもの。

高層ビル、民家、信号機、埃の臭い、クラクション、、、

その全てに、その土地に住む人々の様々な感情がしみこんでいる。

出会いの喜び、別れの悲しみ、家族のために働く人の情熱、愛情、、、。



そんな様々な感情を全体で表現している街

これは、最高の芸術作品だろう。


活気あふれた街

悲しい旋律を奏でている街

時代の流れに屈せず伝統を貫く街


それらを感じ、さらにその土地の人とふれあい、共感し合える。

最高の芸術鑑賞だ。


だからボクは、旅行が好きなのだ。











だが、ボクは旅行より自分の部屋が好きである。

ゆえに休日に旅行することは、まず、ない。












それよりも、ボクは勉強が好きである。

というと、「優等生」というある種の軽蔑を含んだレッテルを貼られるかもしれない。

小中高(大)と日本人は20年近くも勉強を半強制される。

強制されると反発心が生まれる。

その反発心からだろうか。大半の人は「勉強」を直視せず、いつもフォーカスをぼかす。

スポーツを頑張っている人と、それと同じくらい勉強を頑張っている人

クラス内での評価が自ずと前者が高くなるのは、この理由からかもしれない。


フォーカスをぼかさずに勉強という行為を見てみるといい。


入り口には「覚える」という非常に面倒くさい行為があることは確かだが、

その先には、様々な新しい世界が待っている。



「覚える」が終わったあとには、

覚えた知識で「考える」

考えたけれども、偉い人は自分の考えと違うことを言っている。

なぜだ?

さらに考える。

そうして考える過程で

新しい世界の中で、成長した新しい自分に気付く。


形而上、形而下さまざまな学問がある。

実用的なものから、日常生活とは遠く離れたもの

それぞれの学問がくりだす世界へ飛び込む。

自分の見ている世界がどれだけ小さいかを実感する。

もっともっと知りたくなる。

そして、また覚える。考える。

考えて、自分なりの答えが出たときの喜びは最高。

自分の部屋で、机上でこんな喜びが得られるなんてそうそうない。

だから、ボクは勉強が好きなのだ。











だが、ボクは勉強よりも部屋でボーっとしていることの方が好きである。

ゆえに、休日に勉強していることは、まずありえない。






今日もボーっとしてたら、あら、こんな時間(18時)

がむばれニッポン。
 



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